仕事なんか生きがいにするな〜生きる意味を再び考える〜 から得た学びと気づき 1

こんにちは。

今回は、仕事について絶賛メンタルやられ中の筆者が、すがる思いで夏休み中に一気に読破した、泉谷閑示著「仕事なんか生きがいにするな」から、印象に残った言葉と気づきをシェアしたい思います。

気づいたらA4用紙4枚分の分量になっていたので、何回かに分けて記載したいと思います。

お仕事で悩んでる方や、この先のキャリア/人生で行き詰まっている方に読んでもらいたい内容です。学びをシェアさせてください。

それでは、どうぞ。

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目次

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本稿の要点

本稿の要点

  • 現代に生きる私たちは、本物にめぐり合うことが困難な環境に置かれてしまっている
  • 昔の世代のように、楽観的で希望に満ちた将来像を描いたり、夢に向かって無邪気に進むことができにくくなっている
  • 現代を生きる人にとって、働くことがそれ自体を目的とした純粋な行為であってほしいと願っている

現代人がおかれている状況

著者は、本書の中で、「現代に生きる私たちは、本物にめぐり合うことが困難な環境に置かれてしまっている」と述べています。

SNSなどの普及によって、多くの情報が流れてくる今の時代では、表面的で理解しやすいことに価値があるように錯覚されられる時代になってしまっていると私は感じています。

その中で、どんなに情報を集めたところで、人気で注目を浴びて、検索で上位に引っかかる情報は、上記のように表面的で理解しやすい、薄っぺらい情報を手に入れてしまうことがほとんどのように感じています。

情報を得やすいという状況を相対的に見た時に、昔と今では、情報量が増えたにも関わらず本物に巡り合う確率がどんどん下がっていることを揶揄しているのではないかと私は考えました。

また、筆者は本書の中で、以下のようなことも述べています。

中長期の危機が20代あたりにまで近代化してきているのではないか

中長期の危機とは、昔であれば40〜50代を迎えた人が、今一度人生の意味や生き甲斐が気になり出して、うつになったり、仕事に身が入らなくなることと定義されていたと記憶しています。

このような危機が、現代では、20代にまで下がって来ているのではないかという問題的が本書ではなされています。

先ほどの、SNSの普及においても言及したように、多くの情報が得られるようになった情報化によって、大人たちが表面上演じている役割的自己について、その舞台裏の空疎な実態を、かなり早い段階から知ることができる環境にあるこことが、この危機が20代あたりまで近代化していることの一つの理由ではないかと筆者は考えているようです。

確かに、今の時代は、本来であれば知ることもできなかった、他社に勤めている、しかも違う年代の方の意見をSNSを通して知ることができてしまいます。私自身、就職する前から、社畜になることを揶揄して友達と笑ったり、学生が終わったら人生で遊ぶ時間はもうないね、なんて話していたし、はなから社会に対する期待がなかったなと過去を振り返っています。

私はちょうど、バブルが崩壊した年に生まれたこともあり、景気が良い状態を知らないどころか、どんどん不景気になっていって、両親が苦労している姿しか見ていないので、未来への希望あふれた将来像などを描けるはずもないよな、というのが正直な意見です。

実際筆者も、「昔の世代のように、楽観的で希望に満ちた将来像を描いたり、夢に向かって無邪気に進むことができにくくなっている」ことが、この危機を引き起こした2つ目の理由ではないかと述べています。

現代人の欲求について

本書で筆者は、以下のように述べています。

人は例え低次の欲求がみたされないような極限状態にあっても、むしろそれだからこそ高次の欲求である、意味への意志を激しく求めるものである

ここでも、現代と昔を比較すると、昔(戦後からバブル崩壊まで)は、とにかく満たされない現状を満たしたい!といういわゆるハングリー精神(ハングリーモチベーション)が原動力になっており、働けば働くほどものが増えて幸せになっていった時代であったように考えています。

すなわち、低次の欲求が満たされない極限の状態だからこそ、働く意味とか生きる意味という高次の欲求が激しく求められ、これがハングリーモチベーションの源泉になったのではないかと考えています。

一方で、現代を生きる私たちは、生まれた時からすでにものに溢れており、十分に満ち足りた環境で生活を送ることができていたように思います。そんな環境の中で、昔のようにハングリーモチベーションで仕事をすることについて、そもそもイメージができず、理解もできないので、何のために頑張れば良いのかがわからない状態になっていると考えています。

つまり、低次の欲求は、先代たちの努力によってすでに満たされた状態の社会に産み落とされた私たちは、これを満たすというモチベーションではもはや動くことができないというふうに解釈しています。

また、現代人は、ただ豊かになるために働くことを忌避しているように感じており、筆者が言及するように「人はパンのみにて生くるにあらずといった、キリストと同様、ハングリーモチベーションで働くようなことは精神の堕落であり、不純である」とさえ思っている節もあると考えています。

私も含め、現代を生きる人にとって、働くことがそれ自体を目的とした純粋な行為であってほしいと願っているが、現実は生きるための日銭を稼ぐ必要性の方が重要であると考えてしまうため、働くことの目的がシフトされてしまっているのが現状であると考察しています。

少し長くなってしまったので、その1はここで締めたいと思います。

続きは以下のリンクからどうぞ。

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